さとまも談義|テクノロジーと体験とアートと

テクノロジーとビジネスと人の関係性にずっと興味があります。アートやダイバーシティのキーワードも含めて、世界がどう変わっていくか、変えていけるかをお酒を飲みつつ考えるブログ

 研修の反省

弊社の新人研修の一つで、1ヶ月に渡る研修が先日終了した。
課題の困難さというよりは、チームマネジメントや人間関係の構築、そして忍耐力を問われた一ヶ月間だったように思う。


研修中に顔を合わせた同期や、またはmixiの日記などでは仕事をやらない(あるいは、できないのかもしれないが)同僚に対する、決して気持ちの良くはない話を聞かせたことと思う。

確かに、最初の2週間は自分なりに丁寧にマネジメントへ取り組んでいたが、忙しくなり始めると視野も狭くなり、自分が比重の重い作業に従事していたこともあり、自分の仕事しかしないチームメイトへのイライラは募り…


最終的に、俺は彼の作業を信用しない、という対処を取ってしまった。
たしかに、成果物の精度も軒並み低いものだし、そもそも仕事を任せるのも心配なのだが、このような姿勢はいかがなものだったろうか?


今日、久しぶりに@ITで読んだ記事が、自分の行動に反省を促した。
プロジェクトの成功に本当に必要なもの(2):全員が「明るい、楽しい」と感じるチームにしたい - ITmedia エンタープライズ


記事のそもそものタイトルが、今回の研修で自分が目指していたチームの姿である。
「全員が明るく、楽しいチーム or プロジェクト」

確かに研修は無事に終えることができたが、上記の目的が達成できていたのだろうか?

俺が思うに、明るく楽しいチームというのは、成果物の水準も高いものだ。
今回の研修を見ていてもそう思うし、一般的にも何でも言える雰囲気があったほうが、お互いに見つけたミスも簡単に修正が可能だろう。


この記事のなかで、感銘を受けた部分を引用して、今日の日記を終えたいと思う。
同期諸君で似たようなことを考える人もいると思うので、参考にでもなれば幸いです。

【俺の心に響くセンテンス…おっしゃる通りです】

通常、リーダーやマネージャは、部下やメンバーからより良い成果を引き出そうと、いろんなアドバイスをします。

 しかし、多くの方が悩んでいるように、そうしたアドバイスもなかなか効果を発揮しません。一方で、アドバイスはほとんどしないけれど、その態度、姿勢、心構えでもってチームに大きな影響力を持っている人もいます。この両者の間での決定的な違いが、相手を受容しているか否かにあるのです。人は、受け入れられることで相手を信頼します。そして信頼した相手からは、自分でも気付かないうちに影響を受けるようになるのです。

 使う言葉が簡単に移るのは、受け入れられたことによって相手を信頼した結果なのです。信頼関係もない相手に対して、どんなアドバイスをしても期待する効果は得られません。まずはあるがままの相手を受け入れるところから始める方が近道なのです。

【こちらもなるほど! 修行が足りませんでした】

いきなりですが、自転車の補助輪を外したときのことを思い出してみてください。補助輪の付いていない自転車に初めて乗ったときには、左右どちらかに傾き過ぎれば倒れますし、バランスに気を取られてペダルをこぐ力が弱ければこれまた倒れてしまいます。

 ですから、私たちは、「倒れずにすいすいと進む」という望むべき結果を手に入れるために、左右どちらかに傾き過ぎていると感じれば、傾きを補正するためにバランスを変えてみたり、バランスを取りやすいようにペダルをこいでスピードを上げてみたりします。とにかく自分の欲しい結果が得られるまで、自分の行動を変え続けます。

(中略)

「何度同じことをいわせるんだ!!」

というせりふは、親子間でも、上司部下の間でも、とにかくあちこちで聞くせりふではないでしょうか? 果たして、先の自転車に文句をいう人と、「何度同じことをいわせるんだ」という人との間には何か違いがあるのでしょうか? 少なくとも、自分を変えずに相手を変えようとしているという点においては同じではないでしょうか?

(中略)

であれば、本当に欲しい答えは何なのか? その答えが得られる質問は何なのか? ということを真剣に考えて、良質の質問をすることがリーダー、マネージャ、チームメンバーすべての人にとって大切なことではないでしょうか?